私たちは幾千の恩の中で生かされている

私が東京から帰った翌日の出来事

「ピンポーン」とインターフォンが鳴る。

モニターを見ると、クロネコさんだ。

母が出る。

母「カバンが届いたよ。」

私「え??カバン?」

母「スーツケースが来たよ。」

私「え??スーツケース?お母さん買ったん?どこか旅行でも行くの?」

母「???何を言いよるんぞね。あんたが送ったやつよ!」

私「おーーーーーー、東京からの洗濯物ね。」

すっかり忘れ去っていた・・・という私でした。

スーツケースちゃん、忘れてごめんなさい。

あなたが荷物をたくさん運んでくれるおかげで、東京でもいい仕事できてます。

私は、東京で仕事をしていますが、多くの人や物のおかげでできています。

私は、幾千の恩の中で生きているのです。

朝食を思い浮かべて下さい。

白米ひとつとっても、お米を作ってくれた農家さん、

その農家さんを産み育てた両親がいて、

その両親は何も苦労せずにその人を育て上げたのか?と言われたら、

絶対にそんなことは無いだろう。

その白米が入っている器も同じことである。

つまり私1人の力では、何一つ目の前に出すこともできないということ………

この朝食が私の目の前に現れるというだけでも、数えきれない人が関わっている。

私たちは幾千の恩の中で生かされている………。

「スーツケース忘れちゃったよごめんなさい」は、その事を思い出させてくれました☺️

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