石橋を叩く暇なんて無い

『石橋を叩いて渡る』ということわざがあります。

堅固に見える石橋でも、なお、安全を確かめてから渡る。

用心の上にも用心深く物事を行うことの例えです。

私が思うのは、叩くことがダメだとは言いませんが、

石橋を叩いている人は、基本的に渡らな〜い🤣🤣🤣🤣ということです。

石橋を渡った先にある物を本当に手に入れたい人は、

叩く前にもう渡り始めてます😆

渡った先にあるものが、自分にとって気が進まないものなら、

叩く必要もありません👍

私は基本的に、いつも直感です。

石橋の先がよく見えなくても、

自分の方向性と合っているかもと思ったら、前に進みます。

途中で「あ、違う。」と思えば、帰ってくればいいだけですからね。

私の運の良さはこういったところにもあるのかもしれません。

運は絶え間なく変化しているものです。

幸運やチャンスはちょっとした判断の遅さや迷いで、

あっという間に目の前を走り去ってしまう。

目の前の石橋は、チャンス橋。

「渡れる」か、「渡れないか」ではなく、

「渡りたい」か、「渡りたくないか」だけなんです。

「渡りたい橋」だとしたら、

叩く暇があるぐらいなら、さっさと渡ってしまったらいいのです。

オステオパシーの学校へ行く行かないを決める時もそうでした。

私は1期生です。

当時はまだ今後どうなるかもわからない学校(頑丈かどうかもわからない橋)に、

入学をすることを決めました。

結果的に、卒業後にコロナが大流行…………。

もし、石橋を叩いて渡ろうとして、入学を先延ばしにしていたなら、

この大流行に巻き込まれていたのです。

私の渡った時の橋は、例えて言うなら、

障害物はたくさんあったし、乗り越えるのは大変だったけど、めちゃくちゃ頑丈で、

風もなく、穏やかな気候の中を渡りきれたという感じです。

しかし同じ橋でも、今は違います。

橋も障害物もそのままだけど、どうしようもない自然の猛威に晒されている………。

そんな感じでしょう。

だから、どうせ渡るなら、さっさと渡り始めてしまえばいいんです。

叩いている暇なんて、無いんですよ。

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