志なき者は〇〇である。
〇〇の中に何が入るか?
これは、幕末の志士である吉田松陰の言葉です。
志とは、心の目指す方向と言えます。
あなたは、行き先のわからない船や飛行機に乗りますか?
私だったら乗りません。
多くの人がそうだと思います。
人に対しても同じことが言えます。
心の行き先が定まっていない人に誰がついて行きますか?
会社経営者であれ、サラリーマンであれ、
どこに向かっているかわからなければ、
誰もついてこないし、勤め続けられないですよね?
志のない人には、誰も共感しません。
よく「夢」と「志」は何が違うのかと聞かれることがあります。
例えば、私が
「私の施術院に、多くの患者さんが来てもらえるようにしたい。」と言ったとします。
これは、「夢」でしょうか?「志」でしょうか?
このブログを読まれている方ならもうお分かりですよね。
「私の施術院に、多くの患者さんが来てもらえるようにしたい。」
これは「夢」です。
あくまでも私的なことなんです。
つまり「夢」とは、「私事」なんです。
他にも例えば私の立場なら、「有名人を施術したい。」とか、
「もっと売り上げを伸ばしたい。」とか、
「この商品を買ってもらいたい。」とか、
子どもであれば、「プロ野球選手になりたい。」とか、
「ケーキ屋さんになりたい。」とかも同じです。
これらは全て、私的利益に向いた、ただの「夢」でしかありません。
おそらく、先程あげた言葉の後ろにはこう続くのです。
「〇〇したい。そして、私(家族)が、幸せ(有名)になりたい………。」
私はこのブログに事あるごとに書いています。
私の志は、「日本、世界中の人々の健康を取り戻し、経済の再生を図る」です。
この言葉の後ろは、こう続きます。
「そして、多くの人を幸せにしたい…………。」
「夢」はあくまでも、自分を含めた狭い範囲の、私的利益的な事であり、
「志」は、世の多くの人のためという、公的利益的な事であります。
ただ様々な人と接していて思うのは、「夢」と「志」を混同している経営者も多いです。
また、志どころか、私的利益である夢すら小さい人が多い…………。
「夢って何?」って若い女の子に聞くと、「結婚です。」という子がいます。
別に悪いとは思いませんが、
「幸せなれたらいいね〜。で?そこからどうするん?」と思ってしまうのです。
ひどいのは、「夢」すら抱いてない人も多い……………。
こうなりゃ、「志」のない虫以下です。
「志」に生きる者を「志士」と呼び、
幕末の志士たちは、青雲の志を抱いていました。
「志」の何たるかについて、吉田松陰はこう説いています。
「志というものは、国家国民のことを憂いて、
一点の私心もないものである。
その志に誤りがないことを自ら確信すれば、
天地、祖先に対して少しもおそれることはない。
天下後世に対しても恥じるところはない」
また、門下生に志士のありよう、覚悟をこう述べてます。
「志士とは、高い理想を持ち、
いかなる場面に出遭おうとも、その節操を変えない人物をいう。
節操を守る人物は、困窮に陥ることはもとより覚悟の前で、
いつ死んでもよいとの覚悟もできているものである。」
あなたは、「あなたの志はなんですか?」
と聞かれたとき、答えることはできますか?